万倉天満宮

     
御朱印   11月23日の大祭当日 神牛 

御祭神 : 菅原道真公

由 緒 : もともとは宮尾八幡宮の摂社であり、宮尾の人々により祭が代々受け継がれていました。大正12年、船木鉄道が万倉まで開通し、駅前通りの栄町が商店街として栄えるにつれ、昭和3年より商店街を中心にした、万倉全体の祭として賑うに至った。祭の最盛期には栄町の商店街は人の並みに埋もれた。網代車(アジログルマ)奴(ヤッコ)道中等の祭典具は昭和4年に取り揃えられた。浦安(ウラヤス)の舞は、もともとは万倉護国神社に奉納され、一時途絶えていたものを、時の総代方の尽力により天満宮に奉納されるに至ったものである。

御神徳 : 学業、合格祈願

例 祭 : 11月23日(勤労感謝の日)この地区では最も賑わうお祭りです。奉納奴道中、浦安の舞、書道展等が催うされます。

天神様について少し詳しく

まず、祭神は菅原道真公(すがわらみちざねこう)です。菅原道真公は、平安初期の公卿(くぎょう)、学者であり、菅公と称されました。菅原道真公の正式な御神名は天満大自在天神(てんまだいじざいてんじん)と申し上げます

て、天神様のお祭りにおける籤の1等は何故牛なのでしょうか?伝説によると、九州太宰府に左遷された菅原道真公は、延喜3年(903)お亡くなりになりました。亡くなられた亡骸は、牛車に載せて運ばれました。天満宮安楽寺の近くにさしかかったとき突然牛が歩みを止め、動かなくなりました。牛が歩みを止めたところに道真公の亡骸を葬り、墓所としました。道真の門人である、味酒安行(うまさけやすゆき)は道真公の霊を慰めるために、祠(ほこら)を建てました。これが太宰府天満宮の起こりであるとされています。
これが天満宮公認の牛の由来です。

牛は、イメージ通りの力を持っています。焦りが消えて、ひとつのことに集中できるパワーが強大。進路など、迷いが生じたときに、知らないうちに正しい道をあゆむことができます。牛は功名心を去りて、心を正常にする。黙々と勉励を促して飽きることなし。故に学問の守りとなす。また、挫折の時、心に忍と勇と躍進の気を蘇らせ、一道と一芸を全うさせるなり。我が配所にありて牛をめで、よすがとなせる所以(ゆえん)これなり。1等が当たった方おめでとうございます。

さてさて、大行司は何故あのような長い物干し竿?を肩につけて、道中行列するのでしょうか?

菅公は古代豪族の土師氏(はじし)の出身で、道真公の曾祖父古人公が、土師を菅原と改姓するとともに、文道をもって朝廷に仕える家柄となったのです。菅公は左遷され九州に流されたのはよく知っていますね。その旅の途中、菅公の左遷を知った防府の土師氏はこれは一大事と、着るものも着ずまだ乾いていない、即ち干し竿にかかったままの着物で、菅公をお出迎えしたわけです。この事から、大行司は、物干し竿のような長い竹を肩につけているのです。

ところで、菅公に勉学以外の思わぬ御神徳があるのです。何でしょう?

それは雷除けです。天神様は、学問の神様として一般的には知られていますが、雷除けとしても古くから祀られていました。天神様を神棚に祀り、雷が鳴った時「くわばら、くわばら」と呪文を唱えて落雷を防いだのです。この言葉の語源は、菅公の死後度々落雷があったが、菅公家所領の桑畑(くわばら)には一度も落ちなかったという言い伝えからで、今でも災難を逃れようとする時この呪文を唱えると災難からのがれることができると言われています。

天神様と梅との関わりは幼少期にさかのぼります。道真公は5つの時、まだ幼名・阿呼(あこ)とよばれていたとき。庭の梅の木を見て「梅の花 紅(べに)の花にも 似たるかな 阿呼がほほにも つけたくぞある」を詠まれました。道真が住んおられた天神御所は別名白梅殿、別邸は紅梅殿と呼ばれていました。天神様と梅との関わりを決定的にしたのは、菅公が九州太宰府に左遷されたときです。紅梅殿から出発なさろうとした道真公は庭の白梅を見て「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」と詠まれました。これが菅公の歌でも一番有名な歌です。伝説によれば此の梅の木は、菅公を追って九州太宰府まで飛んできたといわれ飛梅と呼ばれています。

歴代大行司小行司

No. 年号 暦年 大行司 小行司 備考
自治会 氏名 自治会 氏名
1 昭和3年創設 1928 1代 宮尾 今村米太郎
2 昭和4年 1929 2代 伏付 安部秀吉 1代 沖田 柿並一男 御網代新調
3 昭和5年 1930 3代 福間 本永密三郎 2代 中ノ浴 吉本正郎 御旅所新設
4 昭和6年 1931 4代 小河内 三隅林蔵 3代 伏付 千々松茂
5 昭和7年 1932 5代 宮尾 河崎光太郎 4代 後河内 小林清信
6 昭和8年 1933 6代 土井 中村亀次郎 5代 伏付 熊野登
7 昭和9年 1934 7代 矢矯 別府一郎 6代 宮尾 河本忠澄
8 昭和10年 1935 8代 白椎木 勝原浅太郎 7代 宮尾 柿並安
9 昭和11年 1936 9代 宮尾 真鍋市三 8代 栄町 熊岡馨
10 昭和12年 1937 10代 矢矯 下井光蔵 9代 福間 本多留明 本社御造営竣工
11 昭和13年 1938 11代 口ノ坪 守生貞之進 10代 宮尾 高村照男 支那事変
12 昭和14年 1939 12代 土井 中川国三郎 11代 吉部村大河内 松本満隆
13 昭和15年 1940 13代 栄町 中山主江 12代 土井 堀猛
14 昭和16年 1941 14代 宮尾 小池五郎吉 13代 栄町 矢原暢
15 昭和17年 1942 15代 栄町 熊岡健一 14代 国近 林博美
16 昭和18年 1943 16代 船木町 長谷川豊助 15代 船木町 長谷川信義
17 昭和19年 1944 17代 堀越 渋谷太蔵 16代 上矢矯 橋本貫義
18 昭和20年 1945 18代 宮尾 生田健輔 17代 中ノ浴 山本新一郎
19 昭和21年 1946 19代 椋並 兒玉誠一 18代 矢矯 別府章典
20 昭和22年 1947 20代 栄町 篠田善之助 19代 栄町 篠田三男
21 昭和23年 1948 21代 口ノ坪 畑口信太郎 20代 沖田 柿並充人
22 昭和24年 1949 22代 白椎木 勝原繁一 21代 沖田 柿並兼継
23 昭和25年 1950 23代 沼田原 深井辨蔵 22代 沼田原 深井日東生
24 昭和26年 1951 24代 後河内 河野元一 23代 宮尾 今村晃一
25 昭和27年 1952 25代 沖田 吉信保恵 24代 正楽寺 矢田部正人
26 昭和28年 1953 26代 宮尾 今村俊一 25代 栄町 東出孝
27 昭和29年 1954 27代 福間 本間久治郎 26代 福間 本間剛治
28 昭和30年 1955 28代 大河内 松本太郎 27代 土井 中村利広
29 昭和31年 1956 29代 厚東 箕越治郎一 28代 栄町 熊岡幸人
30 昭和32年 1957 30代 国近 武広勇 29代 国近 武広範昭
31 昭和33年 1958 31代 柏ノ木 溝部信之 30代 後河内 小林博昭
32 昭和34年 1959 32代 船木 長谷川半一 31代 船木 長谷川英史
33 昭和35年 1960 33代 沼田原 中明乙 32代 沼田原 中明三男
34 昭和36年 1961 34代 宮尾 河崎繁一 33代 福間 本永重之
35 昭和37年 1962 35代 伏付 熊野玄吾 34代 寺田正彦
36 昭和38年 1963 36代 伊藤貞助 35代 伏付 熊野邦人
37 昭和39年 1964 37代 国近 林秀助 36代 国近 林亮典
38 昭和40年 1965 38代 福間 山本豊 37代 神元 村上貴浩
39 昭和41年 1966 39代 千々松勇 38代 河村暁典
40 昭和42年 1967 40代 宮尾 今村俊一 39代 宮尾 小池康吉
41 昭和43年 1968 41代 前田敏一 40代 柏ノ木 山田竜市
42 昭和44年 1969 42代 栄町 中山主江 41代 栄町 中山武士
43 昭和45年 1970 43代 小野田千崎 真鍋静夫 42代 小野田楴山 藤岡諭
44 昭和46年 1971 44代 宮尾 河崎繁一 43代 宮尾 河崎文夫
45 昭和47年 1972 45代 宮尾 今村俊一 44代 今村健一
46 昭和48年 1973 46代 椋並 中務博 45代 椋並 中務健吾
47 昭和49年 1974 47代 福間 土田亮吉 46代 土田知典
48 昭和50年 1975 48代 小河内 山本百人 47代 宇部 中尾亮資
49 昭和51年 1976 49代 本間隆治 48代 本間真一
50 昭和52年 1977 50代 国近 前田三男 49代 前田耕造
51 昭和53年 1978 51代 南清太郎 50代 南史浩
52 昭和54年 1979 52代 浅地 上原勇 51代 上原学
53 昭和55年 1980 53代 岩滝 植野鉄雄 52代 植野俊夫
54 昭和56年 1981 54代 宗方 山村沢造 53代 宗方 山村通弘
55 昭和57年 1982 55代 福間 山本豊 54代 岩木仁資
56 昭和58年 1983 56代 上矢矯 永富一夫 55代 永富貴則
57 昭和59年 1984 57代 後河内 河野有明 56代 河村慎太郎
58 昭和60年 1985 58代 沖田 柿並藤雄 57代 柿並健吾
59 昭和61年 1986 59代 二道祖 荒川正寅 58代 荒川憲司
60 昭和62年 1987 60代 芦河内 福重宝 59代 芦河内 福重祥文
61 昭和63年 1988 天皇崩御につき御神幸のみ
62 平成元年 1989 61代 伏付 阿部壽雄 60代 阿部直史
63 平成2年 1990 62代 宮尾 高村敬一 61代 高村俊
64 平成3年 1991 63代 下矢矯 下井悦雄 62代 下井史雄
65 平成4年 1992 64代 中ノ浴 吉本正郎 63代 吉本正彦
66 平成5年 1993 65代 岩滝 縄田芳夫 64代 縄田圭太郎
67 平成6年 1994 66代 梅田西山 西村繁 65代 西村大輔
68 平成7年 1995 67代 浅地 河村欣一 66代 河村卓也
69 平成8年 1996 68代 下矢矯 杉本利夫 67代 杉本隆宏
70 平成9年 1997 69代 岩滝 下井百合昭 68代 下井貴志
71 平成10年 1998 70代 二道祖 木村秀雄 69代 木村龍太
72 平成11年 1999 71代 芦河内 藤本博美 70代 河内利治
73 平成12年 2000 72代 神元 阿部昌憲 71代 神元 阿部遼馬
74 平成13年 2001 73代 国近 林 和美 72代 国近 林 謙介
75 平成14年 2002 74代 沼田ヶ原 秋本尚武 73代 宇部 福田真也
76 平成15年 2003 75代 宗方 宮原一貫 74代 宗方 宮原八雲
77 平成16年 2004 76代  二道祖 矢原養祐 75代 二道祖 矢原心之介
78 平成17年 2005 77代 沼田が原 中明栄敏 76代 妻﨑開作 吉武希
79 平成18年 2006 78代 白椎木 勝原耕作 77代 中の浴 村田吉弘
80 平成19年 2007 79代 浅地 山田稔夫 78代 宇部市神原 山田修司
81 平成20年 2008 80代 栄町 福田哲也 79代 冨森幹正
82 平成21年 2009 81代 白椎木 田中常考 80代 船木 田中亮 木藤巧弥(下関市)が代勤(インフルエンザにより)
83 平成22年 2010 82代 岩滝 阿野正隆 81代 岩滝 阿野太郎
 84 平成23年  2011 83代  福間 本多紀夫  82代  福間  本多祐介  
 85 平成24年  2012 84代  下矢矯  境 憲一  83代 山口   上田寛大  
 86 平成25年   2013 85代  浅地  伊藤 勇   84代 厚狭  伊藤 裕   
87 平成26年 2014              社殿改修工事の為参勤行事は休止
88   平成27年 2015  86代 口ノ坪   田邊厚実  85代  宇部市厚南  田邊直也  
89   平成28年  2016  87代  神元 岡村元昭   86代  芦河内  深井涼平  

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