幸せはまず水子の慰霊(供養) 瑞稚霊祭(ミズチマツリ)

水子慰霊(供養)は、まさに己の命に繋がる祈りであります。
自分の命のその末の小さな命を、暗闇の中に葬(ホウム)り、なぜ自分の幸せが有りましょうか。
中国の明に時代に生きた袁了凡の訓えの中にも、善良基準、悪行基準というのが有り、最悪行の中に、胎児を堕胎させるというのが有ります。
因果応報といいます。小さな命では有りますが、その命は貴方が授けた命のはずです。その命を葬って、慰霊(供養)せずに、貴方に幸せ心の安寧があろうはずは有りません。

水子とは
水子とは胎児が出産期をまたず、自然または人工的(医学的)に流産した場合を指し、現在圧倒的に多いのは中絶による水子である。やむを得ない事情があるにせよこれを放置しておくことはまことに好ましいことではありません。一人の人間としてこの現世に生を受けて、両親の愛情を受け人と成るところを、闇から闇へ葬ってしい、その存在を軽視し、顧みることもないわけです。
自然にであれば、命に対する神の思し召しとも考えることも出来ましょうが、人工的(医学的)に何の罪悪感もなく、物でも捨てるかのようなつもりでいる人もいるので恐ろしいことである。しかしながら水子の存在は常に気にかかる存在で、父親は勿論、我が身を痛めた母親にとって、それはそれは決して忘れることのできない出来事でありましょう。

神道では、敬神崇祖、人は生まれながら神なりと、祖先から今に繋がる中で生き、そして何れ自分も霊神として崇められ、現在自分がいるということは、遡ってみれば多くの先祖がいたということであります。現在一般的には満年齢を使いますが、神道では今でも数え年を使います。それは、母親の胎内に命が宿り、それから数えられるべきです。水子もいってみれば母の肉体を借りて(託生という)命を得たということなのであります。

現世の禍根雲孫(8代目の子)に及ぶと言い、一つの命を人工的に絶つということは、大変罪深いことであります。

正しい慰霊(供養)  水子慰霊(供養) 瑞稚霊祭(ミズチマツリ)の仕方

水子には形が有りません。この世に生まれたならば、名前、遺骨が有りますが、ただただ母の胎内から闇に葬られた存在です。
そこで、一霊に一基の霊璽をおつくりします。そして慰霊祭にて、父母の手でその霊璽をしっかり握って頂いて父と母の魂の繋がりをもう一度確認し、霊をお移り頂くわけです。
その霊璽は祖霊殿に祭り末永く慰霊申し上げます。

宗派、宗旨は問いません。先祖を慰霊(供養)心は、日本人がその有史以来持っているものであります。、

水子慰霊(供養) 瑞稚霊祭の申込

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