宮尾八幡宮

     


御祭神 
 
仲哀天皇(チュウアイ) 第14代天皇。日本武尊(ヤマトタケル)の第2子。名は帯中津日子命(タラシナカツヒメノミコト)
応神天皇(オウジン) 第15代天皇。仲哀天皇の第4子。母は神功皇后。名は誉田別命(ホムタワケノミコト)。
神功皇后(ジングコウゴウ) 名は気長足姫尊(オキナガラタラシヒメノミコト)。仲哀天皇の妃。

宋像三神 
田心比売命(タゴコロヒメノミコト、タゴリヒメノミコト)
多岐津比売命(タギツヒメノミコト)
市杵島比売命(イチキシマヒメノミコト)

由 緒 : 真暗村別府八幡宮御縁起によると、別府八幡宮と称える当産土神社は現在地より西北5〜6町あまりの所に別府古宮台という地がありその地に鎮座、その後現在地に遷宮とのことであるが、その遷宮の年暦は詳らかでない。
言い伝えによれば神宮皇后の三韓征伐の折、皇后は神元(ジンガ)の里の小高い山の上にお座りになり、一望を見渡し船の材料として船木にそびえる大楠木をご要望された。しかし里の人は大楠木の小枝を日々の煮炊きに利用していたので、大変困り思案していたところ、そこに白髪の老人が現れ、里人の生活には、燃える木(石炭)が出土するであろうとお諭(さと)しになり、里人は喜んでこの大楠木を献上したといわれる。里人の生活は石炭のおかげで大変豊かになり、この宮尾八幡宮を建立したといわれる。史実によれば1352年(南北朝、大内氏時代)厚東(コトウ)の城主越後守義武(エチゴノカミヨシタケ)氏が宇佐より勧請。現在の建物の神殿部分は1816年に、拝殿部分は1876年建造されたものです。又明治40年宗像三神が合祀されています。即ちこの土地の氏神さまです。1991年の19号台風により尾根が損傷しましたが、氏子崇敬者の力により修復されました。

宗像神社は天平宝字8年(764年)厚東城主 白松太夫物部武綱が筑前の宗像大神宮の御分霊を奉迎し、現在の宇部市東万倉宗方の県道横の小高い地に社殿を建立、 明治40年まで鎮座。明治の神社合併の折。宮尾八幡宮に合祀されるに至った。

御神徳 : 五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、病気平癒、交通安全、安産育児、開運厄除

例 祭 : 5月2日(春祭) 10月13日(秋祭) 12月中旬(新嘗祭)


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